- 第一子妊娠された時、産後も仕事を続ける事を決めていたのですか?
- 当時は産休・育児休暇の実績がなく、過去の女性は結婚後、退職という方ばかりだったので、私自身も退職するつもりでした。実際、制度にも詳しくなく、出産後に自分が会社でどのような働き方をすればいいのか想像が付きませんでした。そんな中、上司にこれを機に会社での産休、育休、また復帰後の時短勤務制度などをきちんと整備し、今後同じように働く女性にも活用してもらいたい、もし復帰後に両立が難しいと思ったら、その時にまた相談しましょう。1年間育児をしながら今後の人生を考えてみたら?とアドバイスをいただいたおかげで復帰を前提としながら育休中に色々と考えることができました。
- 復職に当たって不安はなかったのですか?実際復職後どうでしたか?
- 生活スタイル自体は、時短を活用させてもらえたことや、家族の協力もあり、両立が難しいと感じることはありませんでした。周りには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ただ、自分自身の心の問題で、1年間あまり社会とのつながりが無かったので、自分自身がとても閉鎖的な考えになっていたことを仕事をしながらとても痛感し、以前の自分自身の感性というか感覚を取り戻すのに少し時間が掛かりました。仕事は以前よりもスピード!と残さない!を意識するようになりました。明日出社できる保障はないので(笑)明日以降に何が起こってもある程度大丈夫なように。今日できることは出来るだけ進めるようにしたら以前より効率良く出来るようになったと思います。
1999年 |
入社 |
2003年 |
キャスト教育担当 サブマネージャー |
2005年 |
教育本部配属 |
2007年 |
取締役教育本部長 |
2010年 |
長女出産・育児休暇 |
2011年 |
復帰・時短勤務 |
2013年 |
FCサポート本部 サブマネージャー |
2013年 |
次女出産・育児休暇 |
2014年 |
復帰・時短勤務 現在に至る |
- 女性が今よりももっと働きやすい環境づくりのため今後実現したいことを教えてください。
- 働く女性がという視点と、働く男性を支えている家族や奥様、お子さんにとって、良い会社だなと思える環境を将来的に作っていきたいなと思います。同じ女性として、パパが少しの時間でも育休が取れたらどんなに助かるだろうとか・・・。男性が圧倒的に多い会社なので、女性視点で、お客様も従業員も笑顔になれる提案をプロジェクトチームなんか作って動けたら面白いなとは思っています。
- 出逢いは大学時代のアルバイト
- 初めまして、今年37歳、3人の子供の父親で家族元気に暮らしています。体を動かすことが好きなので、休日は子供たちと外でリフレッシュしています。リズム食品に新卒で入社して14年が経ちました。大学生時代にアルバイトしていたお店が閉店し、その後に風風ラーメンが出店するとのことで募集面接を受けたのがきっかけでした。この後の詳しい内容は入社後のお楽しみにしてくださいね。ですので、そのまま大学生活を風風ラーメンと共に過ごしました。
- 一番楽しく、一番苦しく、学びの毎日でした。
- 入社後は、1号店の風風ラーメン紺屋町店、東京の桜吹雪が風に舞う新宿3丁目店に勤務後、入社半年で風風ラーメン銀座店の店長辞令を頂きました。店長時代は毎日が試行錯誤です。一番と言ってよいほど楽しくも苦しくもあったと思います。従業員から学んだ『全てを笑いに変える笑顔の力』、お客様の会話から学んだ『雰囲気創りの接客サービス力』、1つのお店を長期的に継続運営する為の『店舗管理力』。この経験は私の仕事の初心になっています。
- 店舗の店長時代は、とにかく動き、チャレンジすること、を意識していました。そして、“どうせやるなら、「楽しく」やろう”と思っていました。一人ではできないことがほとんどでしたが、どうしたら皆を楽しませることができるか?どうしたら喜びを最大にできるか?どうしたら簡単に、楽にできるか?を意識して行うようにしていました。要するに、数字ででる目先の費用対効果だけでなく、長期的にお店の力となる数値化しにくい効果を大事にしていました。
1998年12月 |
アルバイトキャストとして風風ラーメン黒崎店に入店 |
2000年 |
夜の時間帯責任者 |
2001年4月 |
入社 |
2001年6月 |
桜吹雪が風に舞う 新宿3丁目店勤務 |
2001年10月 |
風風ラーメン 銀座店店長 |
2003年 |
桜吹雪が風に舞う 小倉店店長 |
2004年 |
桜吹雪が風に舞う 統括店長 |
2005年4月 |
北九州地区4店舗運営の子会社社長として会社設立 |
2009年10月 |
リズム食品でFCサポート本部スーパーバイザーとして復帰 |
2010年 |
FCサポート本部マネージャー |
- 活かせる場、伸ばせる場、可能性のある場
- 子会社の代表を行う中で、大事にしていたことは、【従業員の幸せをどのように実現すればよいのか?】です。お客様への喜び創りは、従業員が日々の営業の中で創意工夫しています。その従業員の幸せを率先垂範で実現することを大事にしました。新しいことへのチャレンジも幸せ創りの1つです。常に前向きに動く、このことを忘れないようにしていました。
子会社の社長としてたくさんのことを学ぶことができましたが、その知識、能力をどこまで広げられるか?自分でもその可能性を試したくてリズム食品の本部スーパーバイーザーとして復職を決意しました。
今までの培った経験を活かせる場があり、更に伸ばせる環境があるからこそSVとして勤務しました。そして、全国の店舗に風風ラーメンの理念を更に広げていくことを業務としたのです。私の知識を高められない、私が動くことで誰も喜ばないのであれば、私はスーパーバイーザーとして残ることはなかったと思います。
- 従業員発信で始まる従業員の満足
- 会社は20年経ち、私は入社して14年が経ちました。その中で大きくではないにしろ徐々に変わっています。会社として従業員満足を高める体制創りは、従業員発信で変わっています。自分たちの職場は自分たちで創る・守るが基本です。人に無関心ではやれません。自分だけでなく、周りの仲間のことをどこまで考えることができるか?が大切です。
リズム食品は普通の会社ですが、普通を平々凡々と暮らせば本当に普通です。ではなく常に『何かないかな?』(これを『何かないか精神』と言うのですが)と言う気持ちで望むことで普通の環境が喜怒哀楽のある環境にと変わります。そして自己成長へつながっていくのです。
こういうことが言われています。人生・仕事の結果=『考え方』×『熱意』×『努力』(京セラ名誉会長稲盛和夫様)
ポイントは『考え方』です。点数で表すならば『マイナス』もあれば『プラス』もあります。『熱意』『努力』は0から100までです。もうお分かりだと思います。
人生考え方次第で、『HAPPY』なのでは。
- たまたま求人情報誌で見つけて、面白そうだと思って応募した。
- リズム食品との出会いは、求人誌で見つけて面白そうだと思って応募したことからでした。そして、先代の社長の中山さん(すでに退任)が面談してくださいました。「まだ会社もできたばかりで総務とかも人がいないから、がんばれば3年で部長になれるよ」と(笑)それにのせられてがんばれたのかもしれません(笑)
入社した時期はちょうど新業態のコリアンキッチンという韓国料理居酒屋のオープン直前でした。それでオープニングスタッフとして入りました。それまで飲食経験どころか包丁もロクに握ったことがなかったのですが、営業前の仕込みからホール営業まで経験でき、またオープンから大盛況の営業を経験させていただきました。今思えば、年齢が若かったこともありますが、ホント頭使ってなかったなと感じますね(笑)
- 何かを変えたいと一歩踏み出すことがすでに変化の証です。
- 入社して半年弱で本部への配属となりました。その理由は、お店では役に立たなかったからです(笑)管理部といっても当時は組織もしっかりと分かれていたわけではなかったので、本部はお店のサポートをするということで、売上入力からお店の応援まで行なっていました。私が入社した時期は、ちょうど会社も大きく変わろうとしていました。食材は、それまでお店から週1度のFAX発注でした。本部はそれ受け取って各仕入業者に振り分けてFAXするというアナログなものでした。
伊藤忠商事という一流商社とお付き合いすることになり、サプライチェーンマネジメントという一括配送システムを構築や、POSレジを導入、レジからの発注と変わっていきました。そして株式上場を目指していた時期でもありました。
監査法人の方々と当時の常務や現社長(当時は次長)とのミーティングに同席し、人事制度構築や業務改善を行なう際、資料作りなどをこなしていったことで大きく成長させていただいたと思います。
- 監査法人の方は、「これできますよね?」と簡単に資料作りを頼んできました。エクセルの数式なんて全然わからなかったのですが、「できない」とは言いたくなかったので、「はい」と答えた後に本などで調べてなんとかやっていました。それが大きかったんだと思います。そうして役職もあがっていき、会社の組織作りから、予算管理、業務改善、システム構築、ISO取得などを行なってきました。取締役になれたのは、岡本社長の若手抜擢の方針と、それまでご支援ご協力いただいた取引先様のおかげです。その大役に見合うレベルだったかというとそうではなかったと思います。
2000年12月 |
入社(韓国熱風食堂コリアンキッチン配属) |
2001年2月 |
風風ラーメン黒崎店配属 |
2001年4月 |
本社管理部配属 |
2003年 |
総務グループ長 |
2004年 |
経営企画室次長 |
2006年 |
経営企画室室長 |
2007年 |
取締役経営企画室室長 |
2008年 |
リズム食品退職し起業 |
2009年 |
事業が軌道に乗らず撤退、リズム食品再入社 |
2011年 |
管理本部部長就任 現在に至る |
- 35歳で独立、経営者として社会の厳しい面を経験しました。
- 私はもともと35歳までに起業したいという目標は漠然と持っていました。当時当社で検討していたビジネスがありました。会社としてタイミングが合わず見送ってしまったのですが、それを自分でやりたいと思いました。おそらく自分の仕事もどこかうまくいかず頭打ちになっていたことが起業することに走らせたのかもしれません。岡本社長に起業したい旨を伝え、了承いただき会社を退職しました。自己資金だけでは足りないので融資も受け、助成金などもしっかりと調べて受けることができました。そうして退職して半年後に開業したわけですが、結論としてはうまくいきませんでした。退職前からお世話になっていたコンサルタントの方に相談したところ、「頭下げて戻してもらいなさい」と助言をいただきました。それで岡本社長と面談の機会をいただき、「戻ってこい」と言っていただき復帰しました。退路を立って辞めたつもりでしたが、本当にありがたかったです。今、当時を振り返ると、やはり起業することがゴールになっていたような気がします。まだまだ甘かったです。しかし多くの気づきもありました。退職前も経営感覚を持っていたつもりでしたが、それとはまったく違うということです。そして戻ってきて一番すごいと感じたことが、『それは毎月同じ日に同じ額の給料が入るということ』でした。サラリーマンでいたら当たり前のことが実はそうではないと気づくことができました。これらの経験があったからこそ、今の仕事ができているんだと思います。
- 人生の浮き輪
- 岡本社長が「人生の浮き輪」という話をします。「船が沈没して大海原に放り出されると例え目の前に金塊があってもそれをとるようなことはしない。浮き輪につかまるはず。そして絶対に離さない。」
私にとってそれくらい大事なもの。それは「ワクワク感」や「好奇心」です。こうしたらもっと良くなるんじゃないか、これをするとこんな風に変わるんじゃないか、と考えただけでワクワクします。それを実行して、今よりも1歩でも半歩でも前に進んだことが実感できればOK。1回で求める結果が出なくても、その積み重ねが大事なんだと思います。社会が要求することもどんどん変化していきます。だから会社も常に変わり続ける必要があります。顧客満足も従業員満足も会社の業績も本来はすべてイコールでつながっていないといけないと思っています。どれかを犠牲にしてどれかがいきるものではありません。しかしそうなっていないこともあるのです。それが成り立つ会社を作り上げていきたいと思っています。
思い返せば、リズム食品の理念だったり考え方だったり社風だったりが、ぴたっとはまってしまいました(笑)でもそれはひとつの価値観でしかありません。多様な価値観が調和して社員それぞれの個性がぴたっとはまる会社にしていきたいと思っています。
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